「小代焼」10枚の器が焼き上がりました。
『天霜の雫』をご支援くださっている皆さま、応援してくださっているさま、こんばんは。
プロジェクト担当の大隅です。
小代焼き、一先窯さんより、10枚が焼き上がったと連絡が来ました。何十枚も焼いて、世に出るのは、たった10枚です。
この奇跡のように手元に残った十枚に、祈りを込めて。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
小代焼は江戸時代のはじめ、寛永九年(一六三二年)に肥後細川藩の初代藩主・細川忠利公が熊本へ移封された際、豊前より陶工を招いて小岱山麓に窯を開かせたのが始まりと伝えられています。
藩の御用窯として、茶道の道具や日々の器を焼き続けてきました。

この小代焼の佇まいを語る上で欠かせないのが、熊本に古くから根付く茶道の流派「肥後古流(ひごこりゅう)」の存在です。
肥後古流は、千利休が確立した当時の茶の湯を、形を変えることなくそのまま今に伝えているとされる極めて貴重な流派です。
利休七哲の筆頭格であった細川三斎(忠興公)と、その子である忠利公は、千利休の教えを正統に受け継ぐ古市宗庵を細川家の茶道役として召し抱えました。
その際、両公は宗庵に対し、利休の流儀に余計な手を加えず、ありのままの「古風の茶の湯」を伝えることを命じたとされています。
余計な装飾を排し、質素のなかに本質的な美を見出す利休の精神。
肥後細川藩の武士たちが受け継いできたその厳格な審美眼は、藩の御用窯であった小代焼にも深く注ぎ込まれました。
現在でも、肥後古流のお茶会では、この小代焼の道具をよく拝見します。
華美に走らず、土と炎の力強さを静かに味わうその姿を楽しめる小代焼き。
使うほどに愛着が湧いてきます。
格式ある席だけでなく、地元の暮らしのなかでも日常の器として当たり前のように長く愛され続けている理由が、そこにあります。
深い藍の地に白い釉薬が静かに溶け込み、まるで手の中に小さな夜空や宇宙の広がりを覗き込んでいるような、静かな迫力を覚えます。
本当に、かっこいい。
自信を持ってお届けします。また、お話しさせてください。
(プロジェクト担当:大隅)